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泣くことがつくるものって何だ

人前で泣くことって、片手で数えられるくらいの人生の大ごとだ。

 

そもそも一人で泣くことだってそうそう無い。だって泣くようなことないもん。

そう思っていたはずだったのに、最近は涙もろい。

 

 

強く自立した女性って素敵だよね、とよく母は言っていた。

まるで、仕事一筋でどの学校の同窓会にも行かない、ママ友も作らず休日に遊ぶこともまったくせず、休日は家で家族と過ごすもの、と頑なに唱え続けた自分の人生を正当化したいかのように。

 

でも母は自立していたのか?周囲に他人を置かないから、1人で居ざるを得ないだけでは?それは自立ではなく孤立なのではないか?

ある程度脳ミソを働かせることができるようになってからは、そんな疑念が絶えなかった。

 

「孤立」というのは、いやな響きだ。

間違っても身内にそんな言葉が当てはまっていてほしくないし、自分がそんな哀れな形容詞に修飾されるだなんてぞっとする。

だから母のようにはならないつもり。だったのにな。

 

けっきょく、私は母の実の娘である。

幼いころ、何もわからない頃、私は母の価値観の忠実な信者であった。

母が絶対に正しい。そして母は私の絶対の味方なのだ。母が大好きだ。母も私を愛してくれている。私は愛されている。

 

きっと誰だってそうだろう。高校の時の担任が言っていた。

小学校の先生と母親は、人の人生を真に左右することのできる職業だ。だからそれらにいずれなるというのなら、その責任の重みを知れ。お前らの価値観に子供は強く影響されちゃうんだからね。

 

本当にそう。

私が母の価値観やその表現の仕方、生き方にまではっきりと疑念を抱き始めたのは、小学5年生のころだった。

何かがおかしい。

母はこれが絶対に間違っていない、まともな生き方だと言う。

友だちとうまくいかないことを相談すると、いつも相手の子に理解がないという結論に帰着した。しかも毎回ほぼ即決だった。悪いものは悪い。良いものは良い。あなたは私の娘なんだから、私はいつもあなたの味方だからね。相手の子がおかしいのよ、レベルが低い。いつも、いつも同じことを言い聞かせられて、それで終わりだった。

 

私は納得のいった試しがなかった。べつに自分を無条件に肯定してもらいたくて話しているわけじゃない。もっと客観的で、現実的で、実際に状況を打開できる解が知りたかった。

自分がいつも正しいわけがないなんて当たり前すぎる事実で、だからむしろこの人はだれにも教わることができなかったのかな、と心の底ではちょっとした軽蔑も育っていったと思う。

 

母は基本的によくできた人物だと思う。

家事も仕事も一度も休まず、3人の子供を育て、夫や親せきの世話もよく焼いた。慕ってくれる部下や同僚に恵まれ、反発してくる上司もいたが、味方と楽しく協力してうまくかわしていた。

いつも身ぎれいにして、美人な人だ。ビシッと決めるときは海外のファッション雑誌のようなモードな装いができるし、休日に出かけるときはアメリカの西海岸のお姉さんみたいなカジュアルな服装も良く似合っていた。

化粧品やボディクリームにこだわり、服装だけではなく身体の美容にも抜かりがなかった。女性としても魅力的な人だと思う。

 

だからこそ、というか。

私は、母と同じ道を進もうとはしなかった。というのも、進めなかったのだ。

客観的にも、主観的にも、母は「社会で活躍する女性像」そのもので、誰もがそれを認めていた。そして、適切な分よりも少しだけ過剰な自信があり、本人の主張の強さへと結びついていたように思う。

 

家庭での母の顔は、たぶんそんなに仕事をするときと変わっていなかったのだろう。

効率、効率、とよく言っていた。

おかげで私は非効率をとことん愛した。母のいないときは非効率が許された。ダラダラとテレビを見たり、ゆったりとベランダで洗濯物を干したり、ただ音楽をかけながらベッドでゴロゴロしたり。

そうした姿を見ようものなら、ちょっと、そんなことしてて大丈夫なの?と睨まれたり、ちょっと貸して!わたしがやるから、とやることを取り上げられたりした。

 

私はいつも切羽詰まった母のいる家が好きではなかった。

もっとリラックスして過ごしたくて、いろいろ工夫した。

自分の部屋を絵や観葉植物や綺麗なタペストリーで飾ってみたら、こんなの邪魔じゃないの、と鼻で笑われた。

まあ、確かに邪魔と言えば邪魔なのかもしれないし、流行の先端を知っていなければならない母から見れば「ダサい」の一言だったろうと思う。

 

楽器をやってみたい、といったら時間をみつけて祖母に教わればいいと言われて終わった。わたしは真剣にやってみたかったのだが、母にとって音楽は生命活動ではもちろんなく、ただの教養でしかなかったのだ。

 

代わりに望んでもいない習い事ばかりさせられた。

体格の大きい私が小学6年生の時、小学校低学年の生徒が基本のスイミングスクールに入れられたときは発狂しそうなくらいに恥ずかしかった。

なぜか空手を一年だけ習ったが、ほとんど年端も行かない生徒の遊び相手をしていた。

剣道もやらされた。これは本当に嫌だった。怒鳴られるし、他人に罵声が飛ぶのも好きじゃない。先生に面を打たれれば痛い。頭がグラグラした。

習字は比較的自分でも好きで、5段までいったが中学に入り部活が忙しくなるから今月でご挨拶してきなさいと言われ、そうした。しかし、中学の部活は半年も経たずに辞めた。こちらは自分の意志で辞めた。

 

自分の21年間に何の意味や価値があるのかはわからない。

だけれども振り返ればあまりにも他動的で、母の言動にただ振り回されているだけだった。そしていまでも振り回されているという意味では同じことだ。結論が正反対に出ているだけで。

要するに今も私は母の価値観の影響力のもとで生活しているわけだ。

 

 

逃げ切れないんだなと思う。

自分が可愛そうで泣く涙は卑しい、とどこかで聞いた気がする。

それならば私は卑しい人間だ。清貧でまともな人間を今さら目指したところで。

 

そして泣き方がわからないと思うことがなくなった。

 

いままで泣くと言ったら、嗚咽を漏らさないように、涙のしずくさえ垂れないようにと目を真っ赤にするにとどめていられたのだ。

そうすることが正しくいやらしくない、同情を集めない泣き方なのだと信じて実行していた。

でも今ではいい年こいて、ぜんぶダダ漏れさせてしまう。人前でさえそうなってしまっていたことに自分でも驚く。嗚咽といっしょに全部ぶちまける。むしろこっちが泣くことの効用を存分に発揮するためには正しいのだと知った。

 

そしてまるで小さな女の子のように幼い泣き方だなぁと自分を軽蔑する。

もっと大人の女性な感じの泣き方は、できないんですかねぇ。

嗚咽もこんな女の子みたいな高い声でヒクヒク自分がするなんて気持ちが悪い。そんな女の子キャラじゃないくせに。かっこわるい。

 

膝を抱えながら、その姿を後ろから眺めて皮肉を投げてくる自分の心の声を無視して泣き続ける。けっこう気分がいいものだ。自分を傷つけてくる者のことばを無視するというのは。

 

夏休みに長く地元に帰っていたのだが、とある男友達2人に全然別の場所で、異なる話の流れで言われた言葉がある。

お前、人生失敗してるねぇ~~~。

分かるわぁ~~。としか言えないくらいにはシリアスなコメントだった。だってこれからどうすればいいのか、自分の過去から糸口が見つからない以上、どうしようもない。

 

でもだれにどうしてもらえるものでもない。人生のかじ取りをしてきたのは結局じぶんなんだし、責任は自分でとって然るべきなのだ。だとすれば、わからないと泣いてばかりいるのが一番無駄なのだろう。

 

でも無駄なこと好きだからな。とりあえず客観的にも主観的にも、非効率な人生は突き詰められているから、もしかしたらこれはこれで形になるのかもしれないし。いつになるかはわからないけど。

 

今泣いてることがつくるものが何になるのかくらいは、楽観させてほしい。