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単純さについて

単純なものは、愛おしい。

 

怒ってしまいたいときにその場で怒ってしまえる無邪気さ。

他の人がいても、自分の世界に入り込んでしまえる横暴さ。

時折思い出したかのように他人のいる世界に戻ってきて、そこではあたかも最初からその場の空気に溶け込んでいたかのように振舞うくせに、いつの間にか気まぐれに自分の中へと戻ってしまっている。その横柄さが、たまにだけど羨ましい。

 

羨ましくてここぞというときに真似をしてみても、それはまったく単純さの純粋を失っているので、何の魅力でもない自分勝手に変わってしまう。自分が既に失っているものだと改めて知る。

 

単純なものの美しさ。

 

複雑なもので美しいのは、それが単純な規則に基づいて複雑化しているから美しいと感じるのだ。ただ混沌としているのは煩雑であって、特別に複雑なのではない。

単純なものはすべてのものの定礎で、可能性は無限大などというくさい文句までも正当化してしまう。その、美しさ。

 

単純なものは過不足がない。

余分なものの一切がない。

 

単純に生きている人は、強くて美しい。

言動に過不足がなく、余計な単語一つさえ発しない。それは自分の基準が明確だからなのだろうし、明確だということは、きっと単純なんだ。どこか、根幹が。

 

なぜ、人は余分な言動を発してしまうんだろうと思う。

それは迷いがあるからのような気がしてならない。

自分と他人の距離感。そこから生まれる配慮。あるは気遣い。お互い自分で勝手に決めてるだけなのに、まるで必然的に、自然にそうであるかのように感じてしまって、素直な反応を隠してしまう。その連鎖がつくる世間体、体裁、処世術。

 

人同士の素直な関係って、いつから作れなくなってしまうんだろう。

しかしそんな中で生き残ってきた単純さだからこそ愛され、大事にされるのだろうか。

自分の単純さは既に死んでしまっているようなので、遅い。