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6年前のばか

 ふわり。春らしいぬるい陽気に、ビー玉色の快晴。雲の灰色が少し重たいけれど、いい天気だった。

少しも嬉しくなかった高校の合格発表の日だった。

合格したけど母の母校の進学校で、小さいころから洗脳みたいにしてこの高校の名前が刷り込まれていた。

受験のときほかの選択肢は最初からないみたいだった。じぶんでも体面上そこしかないとじぶんに刷り込み作業をして、でも受験日の一週間前にはもうすでに燃え尽きていた。これ以上に思い入れも特にない学校だから、塾で目をかけてくれていた先生にも、「もっと喜べよ」と肩をポンと叩かれるくらいには気持ちが沈んでいた。

 これでもう自分の仕事は終わったと思っていた。もう言われた通りのとこには入ったんだし、ほかにいくらでも好きなことしていいと思っていたけど、びっくりするくらいに「これがしたい」と思えることがなくてさ。6年経ったいまもその時と同じ気持ちなんだな。さびしい、中身のない貧弱な人間だとおもう。

 実際は高校に入ったからと言って好きなことなんてひとつも許されなかった。部活が終わってから遊ぶこともしなかったし、先輩や友達とカラオケに行くのにも許可が必要だったし、楽器だって反対されてひと悶着の末に許されたような感じだった。ひとりで東京や横浜に行ったこともない。お小遣いもない。お年玉は貯金にうつされてしまうし、収支はすべて記録しなきゃいけない。彼氏との電話は父親に盗み聞きされる。メールも勝手に読まれてしまう。高校のころ、押尾コータローがどこかの店頭で流れていて、サンプルのCDをひたすらリピートして、これが欲しいので買いたいといったら「いつかね」といわれて、誕生日とか特別な日にくれるのかなと待っていたけど、結局手元にくることはなかった。また聞きたくて同じ店に行ったけれど、サンプルCDはJpopの女性シンガーのものに変わっていて聞けなくなっていた。

 あっという間に大学受験をする時期になって、母の母校が京都の私立だったので、どこか関西圏の大学にしなさいと言われ、ただ言われるがままにうなずいていた。どうでもよかった。むしろ実家の親元から離れられるのはじぶんにとって都合がよかった。早くこの家から離れたい一心で中学のころ必死に勉強して、高校に言われた通りに入ったら少しは自由にさせてもらえると思っていたのになにも変わらなかった。どうせ大学に入っても同じなんだろうし、いまさらじぶんの意見もなにもない。親や親族は、わたしの人間性やじぶんの人生を生きているかよりも、親たち自身の知っている範疇にわたしが収まっているかどうかが大事なのだ。わたしが少しでも自分の知らない範疇に足を踏み入れることが許せないのだ。その証拠に少しでも反抗しようものなら、「衣食住を用意して、毎日食わせてやっているのに好き勝手ばかりして、いい気なものだね。あなたにいままでわたしたちがいくらかけてきたと思ってる。子供は親の言うことを聞きなさい」といって脅すのだ。お金をかけてきたのだから、いうことを聞けというのだ。お前自身の好きなことや価値観は、親の範疇と少しでも被らないところがあれば許さないというのだ。そんなひとたちだ。わたしはかわいそうだと思った。このひとたちの世界は狭い。目の前にもともとあったものだけを信じてきたのだろう。知らない世界を拒絶することでしか守れない自分だったのだろう。かわいそうに。わたしはこのままいきたくはなかった。京都に行ったら、ほんとうにひとりになったら、なにもかもやめてやる。勉強はもちろん、いままで行ったことのないところに行って、やったことのないことをして、うまくいくのかわからない大きなことも手を出してみて、それで思い切り失敗して恥をかいて、そして廃人みたいになって親たちからは見捨てられ、友だちとか言っていた人たちからも見下されて勝手に死んでやるのだ。死んだあと、母はきっと号泣するだろう。勝手に理由をつくって泣くだろう。感動的な親と子のストーリーを、周囲の人に涙ながらに語るのだろう。わたし自身のことばは、なにも意味をなさない。あの人たちの前に現れることもないだろう。興味さえ持たれずにしまっておかれるのだ。わたしはこうして死んだって、わたしの言葉でかたられることすら無視されて終わるのだ。さびしくて貧しい、中身のない人生だ。そんなことを思って、6年。

 

ばかばかしいと思う。何をやっているときの自分もばかばかしく思える。大学受験のときに思っていた通り、いろいろなことをやらかして、それでけっきょくなにが好きなのかとか何がしたいとかもわからないままだ。人生はばかばかしい。

4月からはさぼっていた学校に通う。きっと昔と同じで毎日決められたことをして淡々と過ぎていく面白みのない毎日に戻るのだと思う。結局なにもわからないまま馬鹿をしただけで終わった3年間も、きっとなかったことみたいになって時間は過ぎていくんだろう。

このあいだ、友人が死んだ。知らされるまでその友人に関する最近のことは何一つ知らなかった。でも、わたしに「友人」と表記されるのを彼女はきっと嫌がらない。そういう人だった。まさか死んじゃうなんて思ってなかったよ。ねぇ。人間のできた人から死んでいくのってなんでなんだろう。あなたのこと必要としてる人は、今までだって、これからだって、ずっとずっとたくさんいただろうに。なんでこんなに早く死んじゃってんのよ。ねぇ。

 

きちんと生きて、人との時間を丁寧に重ねてきた人が死んで、

じぶんをないがしろにしてきた末に勝手に暴発して、人との時間を雑に生きている人間が今日も生きてて、ほんとばかみたいだ。

 

6年前、きっとあなたは友だちと一緒に高校の合格を喜んで楽しく過ごしていたでしょう。わたしはわたしの合格を喜ぶ周りにふてくされて、イライラしてた。

ほんとばかみたいだ。人生は。