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喫茶店に来ました

 喫茶店の使い方が、いつもよくわからない。

ちょっと環境を変えたい。リラックスかつ集中できるところでまとまった作業をしたい。思い立ったときはいい。いざ来店すれば、どちらも地に足つかずになる。

割と高いなと思いつつトールサイズの珈琲を注文する。そして結構高いなと思いつつ何か食べ物も選ぶ。喫茶店に来店したという事実で頭のねじがゆるんでいる。と同時に財布の紐もなぜかゆるんでしまう。この現象にカフェ・シンドロームと名前を付けよう。

 

カフェ・シンドロームを伴いながらこれを書いている。

喫茶店のように覗こうと思えば覗けるような場所で、こんな書き物をしているのは可笑しいのかもしれない。カフェ・シンドロームは併発症状として、時を同じくして店内にいる他の人間の目が異様に気になるというのがある。自意識が通常よりも途端に過敏になる。商品をカウンターで受け取って、席に着く。その瞬間から、晒し者のようにカフェにいる人間はプライベートを勝手に展開し始める。

 

どうしてなのだろうか。このような症状が生まれるのは。

もともと1人が気楽、と普段強がっているような寂しい人間なのだが、こういうところで自分のコミュ障みを実感することになる。それならば最初から来なければいいのだが、カフェという特殊な空間は、何故だか常に魅力的に思う。このような症状が発作する故の憧れかもしれないし、むしろその所以なのかもしれない。まあ、どちらでもよい。今日頼んだ珈琲も、あ、トールサイズって意外と量が多くて得、と思った。毎回そう思っている。そして飲むタイミングがいつもわからなくて、すっかり冷めてしまってから一気に飲み干す。作業も一段落までしないで、いろんなものが中途半端なまま帰ることになる。いったいなんのために来たのか。わざわざお金だけ払いに来ただけのようなものか。しかし美味しかった珈琲を想うと、実際は始終 挙動不審で店を後にしただけのくせに、贅沢しちゃったとか思えてしまうから不可思議なのだ。

 

 いろんな他人のプライベートをのぞき見しあえる空間でもあるから、自分の様子が開けたお洒落な内装の中で無防備に晒されている、という見られるスリルを味わえた達成感なのかもしれない。その中で少し高価な飲食を片手間に、まるで没我しているかのように振舞う。その不自然な体験に非日常を感じて喜んでいるのだろうか。まったく自分のことながら、苦手なくせに何故カフェに来たがるのか、よくわからない。